2012年御翼10月号その2

復讐するは我にあり

 2001年9月24日、広島県福山市で行われた、海軍兵学校連合クラス会で、私は講演会を依頼された。題目は、「兵学校精神とキリスト教」とし、真実を重んじる兵学校の教育が、キリストの救いという神の真理にたどり着くのに有効であることを、父の実例を用いて以下のように話した。
 クリスチャンの家庭に育った父は、どうせ軍人となって死ぬのなら、洗礼を受けて死のう、とクリスチャンとなって兵学校に入学した。しかし、敗戦直後、原子爆弾を落とした米国が憎くてしかたがなかった。負けた悔しさよりも、誇り高き海軍軍人(将校)として生きる道を奪った米国が憎かったのだ。そして、原子力物理学者となり、米国本土に原子爆弾を落とすのだと決意したという。とにかく米国に復讐がしたい思いで、気は狂っていたと本人は述べている。米国やソ連を憎みながらも、その一方で本当の人生の意味はなんであろうかと、真実を探求していた矛盾から、気は狂わんばかりだったのだ。
 そんな父のことを心配し、毎日祈っていたのが私の祖母である。そして、神はその祈りに応えてくださった。父は真の人生の意味を求めて、聖書を読み始めたのだった。聖書を読み進めていると、ある日、新約聖書ローマ12章19節が目にとまった。そこには、「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。」とあった。これを読んだとき、父の心はやっと平安になり、救われた思いがした。この御言葉を通して神と出会ったのだ。この生ける神を信じ、従って行こうと決意し、やがて牧師となった。
 そして、更に旧約聖書の正しい解釈を求めて、米国に渡った父は、旧約聖書はイエス様を基準として読まなければならない、という正典的解釈にたどり着いたのだった。古代イスラエルは、長い間戦国時代にあった。戦争が当たり前という枠の中で神を考えていたため、神の名において戦争を肯定してしまう思想が生まれていた。それをただすのが、「迫害する者のために祈れ、復讐は神のもの」と教えられたイエスの言葉である。
 米国は、特に太平洋戦争以降、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、戦争をするたびに、米国内の治安は悪化している。戦後、米国が軍事力を拡大させたことを、神が祝しておられるとは思えない。米国への復讐を誓った父に、「復讐するは我にあり」と言われた神の正しい裁きは、そんな形で米国に及んでいるようにも思える。
 この講演を聞かれた元伊二○三潜水艦の艦長だった上杉氏(63期少佐)は、幹事の高橋氏(77期)に、「おい高橋君、こんなに良い、意義のある同窓会にわしは出たことがないぞ」と言われたという。また、元兵学校教官の砂田氏(60期中佐)は、以下のように高橋氏に言われた。「普通今まで、キリスト教の話を聞きに行くと、やれ罪だ、お前は罪人だと、我々を罪人呼ばわりするので、心から聞くことができなかった。私は海軍軍人として、正しいと思ったことはやり、部下を命をかけて愛し、罪などということをしたことはないと思った。けれど、今日の講師の話は、神の御心から離れることが、的から離れることが罪だと、よく分かるように説明して頂いたから、分かったよ」と。砂田教官は、日本海軍の砲術の権威であり、的に当てることは誰よりも良くお分かりになる方なのだ。
 2008年4月、家族5人でロサンゼルスを旅したとき、わたしの米国での小学時代の担任・ファイヤー先生が通っておられる教会に出席した。そして、ファイヤー先生が奉仕する壮年の教会学校で、牛込での礼拝やバンド演奏のビデオを見ていただき、わたしのの子どもたちが歌い、有希子がピアノのソロを弾き、わたしが証しをする機会が与えられた。その時も、父が敗戦直後、ローマ12章19節「復讐するは我にあり」との御言葉と出合い、報復のために米国に原子爆弾を落とすためではなく、福音を宣べ伝えるために生きようと、牧師となった話をした。その翌週、両親がロサンゼルスを訪問、同教会学校を訪れた。この壮年クラスには、40年来あまり話さなかったメンバーがいた。なぜならば、1966年に初めて会ったとき、「わたしは(兄が日本軍に殺されたせいで)日本人が嫌いだ」と相手が言ったからである。その男性が、父のところに嬉しそうな顔をして、「先週はジュンと奥さんと子どもたちが来て、とてもよい時だった」と言ってくれたという。父は初めて、その人への思いが晴れ晴れとしたものとなったと語っていた。 復讐心を捨て、かつての敵にも愛を実践しようと、牧師となった父であった。その生き方が、私たち家族や教会の人たちに信仰を伝え、兵学校の教官にキリスト教を受け入れる思いを生み、アメリカ人の心を変えたのだった。そのように、世界を変えるようなクリスチャンとなろう。

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